2022.03.22
https://www.youtube.com/watch?v=6pv0AfIsb6g&t=1698s
先日、弊社代表が顧問を務めている「社長猫部」開催の「プレミアムニャンデ―」にて、ドイツより「NILO」さんのオンラインLIVEが行われました。
2022.03.20
筆者、リノベーションを業として15年程…
まだリノベーションなんて言葉が無かった22歳のころ東京青山マンションリーフォーム専門設計事務所でバイトを始めました。
銀座のスナックのバーテンと掛け持ちしながら、武蔵野音大在学中のピアニストのBANDのサポートしたり。
実は、小樽出身なもんで石造倉庫を再利用した空間のLIVE HOUSE「フィッシャーマンズハーバー」とかいう店で半分先輩に騙されて、
キャバレー現代でレギュラー演奏されていたドラマーのジーちゃんに基礎を教えてもらいながら、人と演奏する興奮を覚えました。
あれから30年以上…実は今でいうリノベーションなんて、小樽の日常風景だったんだなとつくづく感じます。
新築見たくきれいでカッコよくするのが、主流リノベーションなのは主流であり弊社も請け負っております。
昨年の一例です、
数世代、過ごしてきた家の思い出を残したいのとのご希望。
床柱を再利用しましょうとの提案…
あまりの重さに大工と電気屋に怒られましたが、ライティングレールとして再利用。
自分は、実家の事の事含め、昔の恋愛の事、クレーム対応の事でした。
弊社の方針のあるべき姿を模索できる、良い機会を頂きました。
現場多忙なため、遅刻・早退の可能性もございますが、
建築士・インテリアディネターの資格をお持ちながら恥ずかしがり屋の影の実力者がブースをサポートいたします。
私は、若干遅刻する予定ですが、最高の御提案をお約束いたします。
2022.03.15
Bossa Nova の Nova とはポルトガル語で「新しい」、Bossa とは「隆起、こぶ」を意味する。したがって Bossa Nova とは「新しい傾向」「新しい感覚」などという意味になる。なお Bossa という語は、すでに1930年代から1940年代に黒人サンビスタなどがサンバ音楽に関する俗語として、他とは違った独特な質感をもつ作品を作る人に対して彼のサンバにはボサがあるなどと使い、それらの楽曲を Samba de Bossa などと呼んでいた。
1950年代後半、リオデジャネイロのコパカバーナやイパネマといった海岸地区に住む白人中産階級の学生やミュージシャンたちによって生み出された。ブラジルでのヒットのきっかけは1958年にアントニオ・カルロス・ジョビン作曲、ヴィニシウス・ジ・モラエス作詞、ジョアン・ジルベルト歌・ギターによる“Chega de Saudade”(シェーガ・ジ・サウダージ、邦題:想いあふれて)のシングルによるものであり、ジョアン・ジルベルトはボサノヴァ・ギターのパイオニアだった。ただしこの時点ではボッサ・ノヴァという呼び名はまだ生まれていなかった。
サンバやショーロをはじめとするブラジルの伝統的な大衆音楽、特にサンバ・カンサゥン (Samba Canção) を基に、1950年代から1960年代に広まった。中産階級の若者たちの求めていた心地よく洗練されたサウンド、「新しい感覚」のサンバとして成立した。
ボサ・ノヴァをジャズの一種と見るなどさまざまな見方もあるが、少なくとも本来のボサ・ノヴァはサンバの一種であると定義される。ボサはブラジルに新しいポピュラー音楽ジャンルを生み、その後世界の音楽シーンに広がっていった。
なお一口にボサ・ノヴァといってもミュージシャンによってその作風は多様で、例えば公的には上記1958年の“Chega de Saudade”がボサ・ノヴァ第1号といわれるが、それより以前の1953年、ジョビン&ヴィニシウス作品でジョニー・アルフが歌った“Rapaz de Bem”(和題:心優しい青年)を真のボサ・ノヴァ第1号とする説もある。アルフの場合はジャズに影響された作風を持っているのが特徴で、ジョアン・ジルベルトなどとは明らかにスタイルが異なっていることが理解できる。
1964年にブラジルでは軍事クーデターが発生し、カステロ・ブランコによる軍事独裁政権が誕生すると、ジルベルト・ジルらのトロピカリア・ムーブメントは、愛や自然を歌うものから体制を批判するものに変化していった。軍事政権は1964年から1985年まで、長期間に渡ってブラジルを支配した。
出典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いつもドイツ在住のNILOさんに応援頂いてます。
壁紙の品番より、その空間に流れる音楽や香りの方がとっても大切であって、自分自身で演奏するのが大切かなと。
2022.03.15
弊社、貧しいちっぽけな会社でございますが住宅企画に掲載頂きました。
前職での私の現場の取材後に転んで編集長(ブラタモリにでた人)が骨折された日よりずいぶん月日は流れましたが、
縁とはつながっていきます。その縁を頂いたのが日本インスペクタ―協会北海道理事でありリノベーション協議会の初代理事兼部会長のT社長。
で、なぜか社長猫部の2代目代表が、業務委託されてる…
一言で言って…なんでこうなるの?ってとこですが、
人生もたまにおもろいと感じるばかりです。
O.tone 161号は3月15日に書店・コンビニ等に並びます。
是非、ご覧ください(立ち読みはダメよ)。
どさくさにまみれ、お世話になってるBAN×KARA ZONE HSさんの紹介もねじ込んでみた。
2022.03.06
ほぼほぼ本業とは関係ないのですが【プレミアムニャンデー】開催いたしました。
友引ってお葬儀やらないですね。やわらぎ会場様のお葬儀のない日を利用しまして、二日早目でししたが。
お友達のキッチンカー「タイガーカレー」さんもかけつけてくれました。
スタッフ…食いすぎ…自分含めですが。
スタートは、シンガーソングライターであり作家の「山口ゆかり」さんLIVE!サポートメンバーもすご!
久しぶりにお会いできたカホンの大山氏。
レッスンを受けるこ都になりそうです。
これがまたよくあたるタロット
注目の「ネコサケ」さん
まっさきに品薄
ご出展社様
ご尽力ありがとうございました。
最後にスペシャル企画
ドイツ在住の札幌出身んのNILOさんがドイツよりオンライン生LIVE
とても素晴らしい歌声、、ありがとうございます。
まさに感動です。
古くからのファンとしては涙出た。
皆さまお疲れ様でした。
弊社はあえて。企業名を出さず暗躍しました。
ご商売されてるかたもたくさんいらっしゃるかと思いますが。
例えばラーメン屋、だしもスープも作り終わろころ、麺発注もれでしたメーカーの責任ですと平気で言えるかな。
人間って変なの。だから戦争は続くんだろ。
ニャンコには罪が無い。